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東京オリンピックが開かれたのは、1964年の10月であった。 その頃「東洋の魔女」の異名で、世界中を震え上がらせた大松監督ひきいる女子バレーボールチームがあった。 日紡貝塚(今のユニチカ)を主力とした魔女たちで行くところ敵なしの勢いであった。
当時のバレーボールは9人制から6人制に移行して日が浅い。長身の外国勢の強烈スパイクを拾うために考案したのが「回転レシーブ」であった。 きょう1センチ、あすさらに1センチとわずかずつ技を向上させ、マスターさせた。 河西主将以下の魔女たちは、歯をくいしばって日々の猛練習を乗り超えた。 結果は宿敵ソ連(ロシア)をセットカウント3対0で下して金メダルを獲得。 日本中を歓喜の渦に巻きこんだ。
後日ある人が 「青春を犠牲にしましたね」と言うと 「とんでもない。あの充実した日々こそが私たちの青春でした」 と彼女たちは誇らしげに答えたという。 大松監督は「五分五分」ではとても勝てない。「六分四分」でも負けることが多いと考えた。 そして絶対勝つには「七分三分」の力が必要だと言った。この根拠は次の通りである。
仮に味方が半分の力しか出せなかった場合(35対3)で勝てる。 又仮りに敵が2倍の力でおそいかかっても(7対6)で勝てるという計算であった。 だから「七分三分」の力を貯えよ、というわけだ。
さて桐光にとって後のない選手権予選が間近に迫っている。 春から夏にかけて体得した練習の成果を思い出して自信を持とう。 余すところなく桐光の実力を見せれば、必ず県の代表切符を手に入れることは可能である。 連載コラム No.5より
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